HOME

 

「プロ倫」は,再び「旬」か,それとも「賞味期限」か

『創文』No. 481200511月,pp.17-20.所収

 

矢野 善郎

 

 

 マックス・ヴェーバーの代表作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(以下,「プロ倫」)が発表された一九〇四−五年から数えてちょうど百周年ということで,昨年から今年にかけて,ドイツ・英国・日本などで記念シンポジウムが開かれ,幾つかのジャーナルで特集が組まれた。

 こうしたイベントの存在だけを見れば,この古典は相変わらず「旬」といえる。しかしイベントの有無は,あくまで表面的な事象に過ぎない。私自身全てのイベントに参加したわけでないので即断は避けるべきだが,これらが,実質的な「プロ倫」リバイバルを提供できていたとは少なくとも聞いていない。「プロ倫」が「旬」であるかどうかは,科学的に実質的な争点の源泉となっているかで判定すべきであって,逆に百周年イベントでその「賞味期限」が見えたということも十分あり得る。そのどちらの見方が正しいのだろう。

 

 日本に限れば「プロ倫」に関して近年,最も話題になったのは,羽入辰郎の『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房・二〇〇二年)と,折原浩を筆頭としたそれへの批判であろう。羽入は,「プロ倫」執筆にあたりヴェーバーが辞書等の二次文献を参照して手抜きし,しかも資料操作を行ったと告発する。専門的な論点までフォローした人は少ないと思われるが,挑発的なタイトルと序文などをつまみ読みしたのだろうか,インターネット匿名掲示板の参加者などには受けたようで,結局政治的色彩を帯びた文学賞を受賞するなど意外な方面に反響があった。

 折原はこの告発の論点の全てを検討するとともに,学界として誠実な反論をすべきと呼びかけた。橋本努はこれに呼応しつつ,ホームページhttp://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/ に論争空間を設け参加を呼びかけ,多くの論者が論評を寄せている。折原は,羽入書批判のために,結局二年間で二冊の批判書『ヴェーバー学のすすめ』(未來社・二〇〇三年)『学問の未来』(未來社・二〇〇五年)と,後述するヴェーバー入門書を出版した。

 羽入自身は,その間まったく応答責任を果たさず,事実上「沈黙は承諾を意味する」状態である。が,いずれにせよ彼がなおも告発のたぐいにこだわるなら科学的にはさして意味があるとは思えない。折原の言葉を借りれば,羽入は学説研究や文献検証自体の意味を見失った「没意味的文献学」に陥ってしまったように見える。例えばルターのBeruf概念と英語圏のcalling概念との関連など、彼が発見した視角を歴史・宗教社会学的に展開し,より実質的なヴェーバー批判が展開されるのならばより論争の第二ステージはより実り多いものになるであろう。

 もっとも,この論争によって社会学者として率直に自省させられたのは,羽入の主張を額面通り受け取り,賞まで与えるほどに日本の社会科学的なリテラシー(読書能力)が落ちていることに気づかなかったことである。ルター派と禁欲的プロテスタンティズム諸派を一緒くたにし、「プロテスタンティズムが資本主義を生み出した」とする漠然とした「プロ倫」把握が広範囲でまかり通っていたことが、今回の騒動の背景にある。これを招いたのは,私自身も含む理論・学説研究者が,社会科学の理論水準の維持・再生産に十分な力を尽くしてこなかったことが一因にあろう。その点「没意味的文献学」に退行していたことの責めを負うべきは一人だけではない(その意味で,折原が羽入批判のしめくくりとして包括的なヴェーバー解説に踏み切り,『ヴェーバー学の未来』(二〇〇五年・未來社)を出版したことは,この騒動の望ましき副産物といえるかもしれない)。

 

 目を海外に向けると「プロ倫」について盛り上がっているのは,案外ドイツよりも英語圏かもしれない。二〇〇〇年以降に「プロ倫」の新たな翻訳が二種類刊行されているし,「プロ倫」のいわば続編「反批判」論文群の翻訳でさえも二種類出ている(日本では意外にもまだ「反批判」の全訳書はない)。いわゆる「ヴェーバー・テーゼ」の歴史的批判もコンスタントに出ている(例えばJere Cohenの近著)。

 また英国の学者が中心となり五年ほど前に創刊されたヴェーバー研究専門誌であるMax Weber Studies誌の呼びかけで,昨年早々にロンドンで「プロ倫」記念シンポジウム(二〇〇四年六月)が開かれ、私も縁があり参加してきた。

 そこでは,昨年水難事故で急死したモムゼンや,ヴェーバー全集で「プロ倫」巻担当のレーマン等のドイツ勢を筆頭に,作品史・文献学的な研究,つまり「プロ倫」執筆の際に依拠された一次資料についての報告が目立った。ただしその一次文献への遡及が何を明らかにしたのかはっきりしない報告も目に付き,その点「没意味的文献学」は日本だけの傾向ではないと苦笑せざるをえない。

 内容的に興味深い論点を提供したと考えるのは,米国から参加した二名の報告者であった。一人は,『鉄の檻を逃れて』(未來社から邦訳が近刊)で知られるLawrence A. Scaffである。彼は,いわば地の利を生かし,ヴェーバーの一九〇四年のアメリカ旅行とりわけ中西部滞在をたどるというテーマで報告した。ヴェーバーは「プロ倫」の第一部の原稿を出版に回した後,数ヶ月にもわたるアメリカ旅行に向かう。「プロ倫」の第二部は,渡米経験をいかしつつ帰国後に書いたとマリアンネの伝記でもされている。スカッフ報告では,チェロキー・インディアンをルーツに持つ混血で後に上院議員に就任することになる異才オーウェンとヴェーバーが議論していたことなど興味深い伝記的事実が紹介された。そしてオクラホマという,資本主義の波にのまれつつあるアメリカの牧歌的なフロンティアでの滞在が,「プロ倫」末尾の資本主義が貫徹していく近代のイメージの形成に深く影響したことなど,実質的な「プロ倫」理解とアメリカ論へとつながりうる結論が述べられていた(論文としてはJournal of Classical Sociology Vol. 5(1)2005.に発表されている)。

 もう一人は,ナショナリズムの歴史社会学で知られるLiah Greenfeldである。彼女は,自著The Spirit of Capitalism (2001)に基づき,「プロ倫」ではオランダが説明できない等,一部のヴェーバー研究者からは顰蹙を買うほどに精力的な批判をしていた。資本主義が日本も含め世界各地に展開していった原動力には「ナショナリズム」があるとの仮説に基づく彼女の大著により,「ヴェーバー・テーゼ」は塗り替えられるとの主張である。当然,学説研究者からは解釈上の文句も出てくるが,「プロ倫」を乗り越えるには,それにかわる仮説モデルを提供しないといけないという当たり前の原則を再認識させてくれた功績は大きい。代わりの枠組みやコンテクストを考えずに,些末な歴史的事実をぶつけて「ヴェーバー・テーゼが崩れた」と称する研究は古今東西枚挙にいとまがない。

 学説研究者から観ると「ヴェーバー・テーゼ」を批判するという試みはたいがい「藁人形たたき」であり,反論しやすい皮相な命題をヴェーバーの口に押し込め,それを叩いているように見える。しかし,今日の学説研究の問題は「皮相だ」と言っているだけで,本来乗り越えるべき「ヴェーバー・テーゼ」なるものを生きた社会科学の文脈に乗せる努力を怠ってきたこととも言える。

 

では「プロ倫」の意義は,どこにあるか。これには大別すれば二つの答え方があると考える。因果的テーゼを重視する答え方と,意味論的テーゼを重視するものである。前者は,経済的生活様式と宗教倫理との間の因果命題の発見こそが「プロ倫」の意義だと考える。後者は,「資本主義」概念の意味付けをラディカルに転換したことこそがその最大の功績だと見る。つまり複数の「資本主義」・「経済的合理主義」を弁別し,近代の資本主義の精神を特異な合理主義として記述した点こそが意義だと考えるのである(私自身は,拙著『マックス・ヴェーバーの方法論的合理主義』(創文社・二〇〇三年)で展開したが,後者である)。

 ヴェーバーは,救済されざる者の存在を正当化する冷たいカルヴィニズムの二重予定説が刻印を押したものとして,近代の(とりわけアメリカ的な)資本主義を描き出した。「勝ち組・負け組」,「競争社会」,「成果主義」,こうしたフレーズとともに日本に「ホリエモン」達が出現したことは,かつてオクラホマを飲み込んだ経済的合理主義の波がようやく日本に到着したと言えるのか…。いやアメリカの成功者は(たとえ偽善的であろうとも)社会に巨額の寄付を行うことが求められる。が,そうした身分倫理をそぎ落とした,別のより冷たい波が打ち寄せてきたのではないか…。意味論的テーゼを重視する立場からすると,「プロ倫」は現代社会,とりわけアメリカや日本を考える上で最も「旬」な問題提起の宝庫にすら感じられる。

 ヴェーバーは「職業としての学問(科学)」で,社会学的な研究は,「専門家が,その専門分野での分析視角からすれば簡単には思いつかないような問題設定を提供するのがせいぜいである」と,読みようによっては自負ともとれる苦悩を述べている。「プロ倫」は,まさにこうした「問題設定の提供」を一世紀にわたり行ってきたのであろう。そんななかヴェーバー研究者が「没意味的な文献学」に終始する一方,社会科学一般での「プロ倫」の解読がますます皮相なものになっていくことで,賞味する舌の方に「期限」がきているのであれば,これほど皮肉なことはない。

 

(中央大学文学部助教授)